月を見上げると、時々思い出すことがある。
子供の頃、いつの間にか布団に横になって寝ていたのに気が付くと上体を起こし、布団に座っていて、目を開けると南の窓いっぱいに輝く満月がいたり、雲が厚く重なる夜も歌を歌うと雲に穴があいて月の顔を見ることができたり。
月はいつも優しい。
大人になって私は若く結婚をしたが、環境に適応できず、夢遊病のように夜の住宅地や公園を泣きながらふらふらと歩いていた。
大きな公園にたどり着く。芝生に寝転ぶと月が丸く輝いていた。
溢れてくる涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、声にならない叫びや感情を月に向けていた。
(大丈夫?落ち着いて?)
声がした。
はっきりと、頭や心に響くように。
(泣かないで、だいじょうぶだからね、)
その声は月からやってくる。月を反射板にして、誰かの声が届いている。
優しい女の人の声。
私は子供のように泣いて、今の状況の苦しみや悲しみや怒りや無力感や絶望を打ち明けた。
女の人はじっと聞いてくれた。そして根気強く慰めてくれた。
(きっと必ず、よくなるから、大丈夫よ、)
この時のこの慰めが無かったらもしかしたら私は自殺を選んでいたかもしれない。幻聴だったとしても、とてもありがたかった不思議な現象だった。
この日から数年後、私は離婚した。
離婚して素晴らしい日々を手に入れた。
子供も連れ、緑豊かな場所でつつましく暮らしていた。魂が殺されない環境は何よりも喜びだった。
十五夜には子供と庭で和菓子を食べながら月を眺めるのが小さな習慣になっていた。この日も庭先で夜空を見上げ、輝く月を平和に見ていた。「綺麗だねえ」「本当だねえ」と、二人で笑いながら。
急にどこからか女の子の泣き声が聞こえたきた。
辺りを見渡したが、いない、
いないけれど、はっきりと泣く声が聞こえる。
見上げると、月からその声がやってきているのが分かった。
不思議さはあったものの、私はその声に向かって一生懸命に慰めた。打ちひしがれ、今にもどこかに身を投げてしまいそうなほど泣いていたから。
月は鏡のように、反射して私の声を彼女に届けた。
しばらくして彼女は落ち着きを取り戻し、私は安堵した。
(きっと必ず、よくなるから、大丈夫よ、)
月の通信がぷつりと閉まる感覚がして、気が付いた。
「あれ…?もしかして、今の女の子って…過去の私…?…」
月は時空を超えてどこかへと開く回線や扉なのかもしれない。
時々見上げては、過去と未来の自分へと挨拶をしている。
「やあ、元気?私は元気でしあわせよ?心配いらないからね、じゃあまたね、」