魔女になるので退職します。

「魔女になるので退職します。」
課長にそう告げると、ぱかーんと課長の口が開いた。
何を言っているんだ?
はい、まあ、そうですよね、そうなるであろうとは、分かっていた。
そんな理由では退職を受理できない、とも言われた。

私は「退職願」を取り下げて「退職届」を机の上に置いた。
課長はまだ、大慌てで何か言っている。
今私が担当しているお客様はどうするのとか、今期から始めた営業のプランにいてもらわないと困る、とか。

課長、ごめんなさい、でも、きちんと引き継ぎもしますので、大丈夫ですよ。

私は自分の背中にずっしりと重かった何かが音を立てて崩れ落ちていくのを感じて、
爽やかで晴れやかな気持ちになっていた。

外ではせわしく蝉が鳴いている。

 

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数か月前、Twitterに「会社辞めたい!辞めるよ!」と呟くと、今まで見たこともないような人からハートがついた。
たくさんの人が仕事に、生活に、疲弊しているのかもしれない。
まだ見ぬ世界へ希望と憧れとはあるのかもしれないけれど、
労働は健康を害するから、多くの人が今の働きかたを「辞めたい」と思っているのだろうなと感じた。

働くこと自体は嫌いじゃない。
全く知らない誰かに、「仕事」だから名刺一枚で話しかけて交流することのスリリングな事も、私の生活には全く関係ないような何百万、何千万、という額面が通り過ぎていくのも面白かった。
会社の待遇や人間関係にも不満はなかった。お客様もいい人ばかりだった。
労働時間や通勤にも問題なかった。

なのに、

なのに、だ。

冷静に考えれば私はとんでもないことをしているのかもしれない。

「魔女になるので退職します。」
せめてもっと言い方を、言葉を選べばよかったかもしれない。

田舎のひいひいばあちゃんの世話とか、海外に留学とか、無形文化財の職人さんの弟子になるとか、もっと、課長がびっくりしない嘘を用意しておけばよかったかも、

それでもやっぱり本当に私は魔女になるので会社を辞めるのだ。

 

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去年の秋、なぜだかとても疲れていて、気晴らしにあちこち出歩いても、美味しいものを食べても、大好きな友達に会っても、たくさん寝ても、ヨガをしても、気分が落ち込んでいた。
ぽっかりと、どこかに大きな穴があいている。
何を補充しても全部そこから落ちていってしまう。
なんだか薄ら怖かった。

とぼとぼと大きな本屋に吸い込まれるように入って清潔なエスカレーターを昇っていく。

(来年の手帳を買おうかな、)

ふと思いつき、月の満ち欠けがのっている1年手帳を探して「占い」の本棚の前に立つ。

美しい文章と優しい語り口の星を読む人が作った手帳をここ何年か気に入って使っている。

来年の表紙は綺麗な鳥だった。

今年、来年の運気を見ても「転職」には差し障り無いように思っていた。
きっと転職したくてたまらなくて差し障りない、という情報のみを自分が吸収していたにすぎないのだけれど、
頭の中も心も、目玉の中も「転職」の文字に憑りつかれていた。

いくつかある占いの本をパラパラとめくりながら物色していると、ほんの数メートル先で男女の声がした。
女性の声は喜びにうわずり、前のめりに質問をいくつも男性にしていた。
男性は低く、それでも良く通る美しい声でそれに自信たっぷりに答えていた。

男性の声がまるで読経するお坊様のような声で、じっとそのやり取りを見つめてしまっていた。

「あなたもついでに見ましょうか?」
「え?」
その人は目の合った私に声をかけて、その瞬間に見えないインドラの網のように私は捉えられてしまった。
生年月日を答えると、細かく細かく手書きの数字が書かれた大学ノートを鞄から取り出し、
私の基本性質を滝のように読み上げていった。8割は私の要素に近いように思った。
(ただものではないなあ、)
「あ、あの、私会社を辞めたくてたまらないのですが、」
「今年はだめ、転職も、退職もダメ、早くても運気の最底辺の来年の夏以降だね、」
「えええ…」
「それよりあなた、勉強をなさい、今は勉強の時期だよ。今鍛えればすごく良くなる」
「勉強、ですか、」
「そう、あなた、魔女になるの向いてるから。」

ぽかんとしている私を尻目に、その人は颯爽とその本棚の前にある本をごっそり端から端までかごに詰め込んで言った。

「サインする用の本がなくなっちゃってね」

 

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《魔女になるためには》
インターネットで検索。

《魔女になるためにはまず強い気持ちが必要です!》

…なるほど。
よし、もういいや。

私は憧れの星読みの人の本を買い、星を読む訓練を始めた。
魔女は星が読めるだろう。

魔女はハーブにも詳しいだろうから、アロマエッセンスも知っていた方がいいな、
ミネラルショー?水晶とホワイトセージを買おう。
美しいオラクルカード、これもいいな。

神様にもお願いしてみよう。

 

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近所の神社でひくお御籤には
「今はまだその時ではない、じっくりと準備をして待つのが吉」
少し遠くの神社でのお御籤は
「今はまだその時ではない、じっくりと準備をして待つのが吉」
かなり遠くの神社でのお御籤は
「今はまだその時ではない、じっくりと準備をして待つのが吉」

こうなると、待つしかない。
試合を前にランニングし、生卵をジョッキで飲み干し、階段を駆け上がり、雄たけびを上げつつ、待つしかない。

どさどさどさ、と、専門書が山積みになって1mは越えそうになる。
書いては覚え、覚えては忘れ、
カタカナと歴史とイメージが毎日をひたひたにしていく。

 

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人は信じるものにしか救われない。
医学でも、信仰でも、仕事でも、筋肉でも、恋愛でも。
人は、自分の選んだ「信じるもの」に救われている。

カードをめくる。
星を読む、
対話する、
まるでそれは遠い惑星同士の無線連絡みたいに頼りなく、
それでもちゃんと繋がっている。

ハローハロー、聞こえてますか、
毎日開くパソコンは異世界との扉だった。
いつもいる人、時々見かける人、
占いのを信じる人、ファンタジーを愛する人、占いを胡散臭いと思う人、他力本願を憎む人、雑踏とうねりとを、実際の道端よりも感知できる場所。

何かに夢中な人、仕事に打ち込む人、社会で頑張っている人、学校で疲れている人。
魔女の気持ちでその人たちを見つめて接すると、
私の中に変化が起きた。
物語が溢れてきて、ぽっかり空いた穴が無くなっている。
穴があろうがなかろうが、怖い気持ちが無くなっていった。

私はここに居たい、もっと物語を読みたい。

 

神社のお御籤をひいた。
「力尽くし努力せよ、神慮ありてかなう」
「古きを捨て、新しきに就くがよろし」
「願望 諸事成果あり」
よし!

ああでも…、あの時の本屋のお告げ、まだ刺さってる。どうしよう…

ふとそう考えと時、たまたまスマホの画面に表れた広告、
それはまさにあの時本屋で遭遇したあの美声の主、
有名な占い師、Xさん
そこには「よく耐えましたね、今年は最強の運気です」の文字。
あまりにもタイミングが良すぎて、
変な声が思わずでてしまった。
それでもこれはGOサインだ。

そうに違いない。

 

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占星術のホロスコープを読む。タロットカードを読む。
これは「翻訳作業」で「その人の物語を仕立てる、オーダーメイドのテーラーだ」
星の配置、星の角度、星のいる部屋、
カードの上下、色彩、具象、溢れるサイン、メッセージ。
言葉とイメージのコラージュ。

鏡にその人を映しながら、その人の資質を読むこと、
持ってる才能や環境や、今までの事やこれからの事を書いてある地図で、図面だ。

この布とこの糸、表はこれで裏地はこれ、ブレードはどうする?
ポケットの深さと位置は?
どこが窮屈?どこを魅せたい?
こんな風に着こなすと素敵ですよ?
あなたはとっても素敵です。

魔女とは違うけど、仕立て屋になっていた。

魔女になるには猫も飼わないといけないし、
カラスとも仲良くしなくちゃいけない、
大きな鍋でぐつぐつ謎のスープも作らなくちゃいけない。

お化粧も勉強して変身魔法だって使いたいし、
空だってビュンビュン飛びたい。

私やっぱり、魔女になりたい。

 

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夏が来た。

外ではせわしく蝉が泣いている。

「時期予算をこれから決めたいと思います、」
「課長、お話があります。」

「魔女になるので退職します。」

 

 

おしまい
20180822 山口真那果(七嶋ナオ)

※この小説はあくまでフィクションです。
そして、インスピレーションをくれたはりーちゃんに捧げます。

[ 魔女になるので退職します。 ]ブログ, , , 2018/08/22 21:07